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2022年8月15日 (月)

◆感謝という言葉を聞かない敗戦の日

今日は8月15日、俗にいう終戦記念日。

言葉っというのは大事だなぁと思う、今日この頃。「終戦」文字通り戦いが終わった日。「敗戦」文字通り戦いに敗れた日。終わったという言葉からは、良かったという思いが出てきて、そこから思考が停止する。敗れたという言葉からは、何故破れたのか、そもそも戦いに至ったのはどうしてなのか、今度負けないためにはどうすれば良いのかという発想が湧いてくる。

NHKは未だにGHQに押し付けられた「太平洋戦争」という言葉を遣う。当時は太平洋戦争という言葉を遣っておらず、大東亜戦争と言っていた。「大東亜」という言葉に意味があり、太平洋という言葉は日米で戦ったことになる。日本はアメリカだけと戦ったのか、そうではない。にもかかわらず、未だに太平洋戦争という言葉を遣う、その魂胆とは何なのか…。

戦没者追悼という言葉はあるが、英霊に感謝という言葉はほとんど聞かない。国民が空爆によって亡くなられたり、沖縄戦において亡くなられたりした場合には、追悼という言葉を遣うのは分かるが、戦死者に対して追悼という言葉は適さないと、個人的には思う。やはり、戦死された英霊に対しては感謝という言葉を遣うべきではないのか。

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「戦後レジュームからの脱却」を唱えていた安倍元首相が凶弾に倒れた。これを銃撃事件とマスコミは一斉に報じた。これはどう見ても「暗殺」だろう。銃撃事件と暗殺では受け取り側の印象が全く違う。暗殺されたとなれば、何故、暗殺されたのか、原因究明が注目される。しかし、銃撃事件、すぐに政治的思想はない、統一教会がらみという報道が出たのも変だ。奈良県警への追及を逃れるためか、さらに弾も見つかっていない。原因究明に全く目がいかないのも不自然だ。

更に、日本のEEZ内に中国のミサイルが「落下」したという報道があり、マスコミは一斉に「落下」という言葉を遣った。狙ったところに落ちたのだから、「着弾」したというのが、正確な日本語だ。「落下」と「着弾」では、これも受け止める側の印象は全く違い、危機感の度合いも違ってくる。

このように、最近マスコミの使う日本語は、全くおかしい。何らかの意図があるか、どこからかの影響を受けているのかと勘ぐらざるを得ない。そんなことを思わせてくれる、敗戦の日でした。

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